大人の夢の定義

子供の夢は、自分の欲しいおもちゃ、例えば、トミカの埼玉県警のパトカー
が、欲しいといういたって個人的な夢です。

もちろん大人になっても、
・値が張る酒を気軽に飲めるようになりたい
・フェラーリに乗りたい
などといった個人的な夢があります。
頑張ろうという動機にもなるので、よいとは思いますが、
これは、子供のおもちゃが欲しいと同じレベルで、
進歩がないのではと個人的に、最近考えています。

というのも、想像以上にというか、想像すらしていなかったレベルで、
自分で全てのリスクを取って事業を営むということが大変すぎて、
わりと低次元な個人的な夢
・木造アパートには2度と住まない(隣のおばさんからのクレームに苦しんだあkら)
・誰かと食事をするときに、値段を気にしない(貧乏時代に、同級生の女性から哀れむようにマックを奢られそうになったから)
・好きな女が欲しい物は、けちらず買う(買えずにみじめな思いをしたから)
・オープンカーを買う(長い間、蓋があく車の存在を知らないでいたから)
をえさにして、どうにかモチベーションを維持しようと
努力してきましたが、結論、あんまり自分にとっては、意味というか意義を
感じなかったです。
こういった夢は、願って行動すれば、すぐに叶う側面もあり、味気ない気がします。

もちろん子供の夢は、叶いやすいという意味では、即効性があり、
多くの自己啓発本では、子供の夢の設定からの行動計画を勧めています。

話がこんがらがってきましたが、大人の夢とは?というテーマに移ります。
子供の夢は、自分だけ
大人の夢は、自分と他人と範囲が広がるんじゃないかと考えています。
自分と多くの他人の夢となると
まず、その夢の具体像の設定自体が、大変ですし、
その実現となるともっと困難です。

ただ、困難であれば、あるほど、達成した時の喜びや、
途中の挫折したときの痛みなどが、より鮮明に、自分だけでなく、
ともに歩む仲間と共有されます。

うまくいったらいったらで最高ですし、
だめでも、負けたけれども、
納得感というか最低限一緒にやりとげたいう
連帯感は、残ります。

自分のチームは、
自分があほなので、軽装備で、エベレストを目指して、
1,000m位で、高山病にかかって、すぐに、撤退して、
近くの高尾山的な山で四苦八苦しながら、修行している感じで
なんとも言えないのですが、
大人の夢の実現、そしてその、過程を充実させるために、
12月も進んでいきます!

採用に苦戦

2012年に人を増やしたときは、勢いだけで、あまり考えていなかったので、
ある程度性格がよさそうでまじめそうであれば、採用していました。

その反省をふまえて、慎重に採用活動をしています。
また、社風というか会社の色のようなものもできてきて、
人を大事に育てて、長く勤めて活躍してもらうことを前提に
採るとなると、基準が、上がり、応募母数はあるものの、
ひっかかる人は、なかなかいなかったり、
いても、他の面接も受けてて、うちより早く他が内定を
出していたりで、採用経費ばかりかさんでいます。。

変に焦ってもだめだし、
社内の整備、待遇の向上を地道にして魅力をあげていくしかないんでしょうね。

お気に入りのカフェ

最近、よくいくカフェは、区が運営していて、
スタッフのおそらく半分は、何かしらの障害を抱えている人たちです。

社会的に、ハンデを抱えていたも、一生懸命、
カフェを利用している人のために、働いてる姿を感じるので
たとえ、ビールのつぎかたが下手で泡だらけになってしまっていても
なんかいいなと思っています。

実際、理想論なのかもしれませんが、人それぞれ
よさがあって、輝ける要素があるので、それを見つけて、
輝けるように、ざっくりした台本と舞台を作るのが経営者の仕事なのかな
と感じています。

変にひねくれずに、お気に入りのカフェのスタッフの人たちのように、
自分もめげずに、明日も自分なりに一生懸命生きていこうとおもいます。